信岡裕子さん BANNISTAR SINGAPORE Pte. Ltd CEO & ブランド戦略担当 Ver 2

諦めなくなると何がいいかって、頭の中が自由になる。そうするとアイデアが湧いて来る。
Q. シャンゼリゼ通りで土下座とは、何があったのでしょうか?(笑)
シャルル・ド・ゴール国際空港に黒塗りの車がダーっと十数台横付けされるような、超VIPのお客様達の担当させて頂いたの。私がいた会社にとっては、もの凄い大きな仕事。
その日までにかけずり回って色々と手配をして、勿論、前日には全て再確認して。でも、ちょっとした同僚とのボタンの掛け違いから、当日オフィスに居なくてはならず。そしたら、問題が起きてしまったの。
電話がかかって来て、電話口で旅行代理店の社員である添乗員さんが男泣きに泣いているの。「どうしてくれるんだ!!」って。
勿論、すぐに現場に駆けつけたけど遅しよね。それで、シャンゼリゼで土下座してお詫びした。でもね、このシャンゼリゼ事件はね、私にとって大事なことだったんだよ。
Q. 大事……とは?
“問題は、現場で起きているんです!”って映画の台詞じゃないけど、現場にいるってことは、凄く大事って思った。そこからのビジネスが、半年無効になったのよ。
Q. あらら……。
すごい責任感じるでしょう。このミスをどうやって挽回しようかともの凄く考えた。
仕事も徐々に戻って来て1年位過ぎた頃からな。その土下座事件の担当者がパリに来るツアーがあって、もう絶対に完璧にしようと。1回、2回やって。3回、4回って担当をさせて頂いて。一年間ぐらいかかったかな。もう毎回、絶対に完璧にやろうって、精一杯やった。そしてね、最後には認めてくれたの。
私が会社を辞めることになって、その方の会社にご挨拶に伺った時に、社内の人に「この人が、〇〇社のファイティング・スピリッツです!」って(笑)
何があっても逃げたくない。
Q. 本当ですね!裕子さんのその精神はどこから来たんだろう?
だって、自分の判断ミスでしょ。ビジネスが半年も飛んだのよ。こんな大きなミスはないでしょう。
私が居る事で、迷惑をかけたなら、せめても自分が居る事でビジネスが戻って来たって。それをやってもプラスマイナス、ゼロよね。パリのこの事件以来、簡単に諦めなくなったね。
でね、諦めなくなると何がいいかって、頭の中が自由になる。そうするとアイデアが湧いて来る。
Q. それは止めるじゃなくて、明らかにするってことかな。
う〜ん、、上手く行かないと考えない。それって、ポジティブシンキングとは違うのよ。諦めない。
これって、ある宣言なんだよね。
伝説的なドジも一杯して来て自分の駄目なところはてんこ盛りであるんだけど、それはGivenなのでそれはそれでいい。でも、諦めない。そうなると色々発想が生まれて来るんだよね。
Q. 苦しい中でアイデアは出にくい様に思いますが、なるほど、決意をすると、後はどうするかを考えるだけなのですね。伺っていて思ったのは、JTBで自由な発想をアウトプットされていたのも、良い働きになったのかなって思いました。
JTBでの経験で養ったのは、「観察力」だね。
人を観る。それで考える。
これは会社でよくいう話なんだけど、赤色にも色々な赤があって、ケニアのキリマンジャロのふもとでみた夕焼けって、これまで見た事が無い、“赤”なのよ。それをどう記憶していくかって。
これって考えずにただぼうっと見ているだけでは何も残らない。色々な経験を、自分のフィルターに通して落とす。
リポートを書かされていたのも良かった。自分なりに解釈して落として行く。その訓練を始めたのが、JTBでの経験なんだと思う。
Q. それって大事ですよね。普段の生活で見た事、感じた事を書いておく。それらが、次のアイデアに繋がっていくという事ですね?
ただ、感じたものを、ただ、書くだけでなくて、蒸留させて。
つまりこれってどういう事だったのか?って、自分に落とす。その出来事が自分にとって何だったのかって考える。
それらが発想するときの種というか、素材になるんだと思う。無意識にその素材がいくつも掛け合わさって、新しいアイデアが出てくるんだと思う。
Q. 確かに。思うとは、“考えた”では無いんですよね。考えるとは、“問う”こと。さて、4年経験と共に日本に戻られて、今のブランドの仕事には、どのように結びついて行かれたのでしょうか?
旅行業界は、もういいかなあと。それでなぜか、ビジネスアーキテクツという、今では日本のデジタル業界でトップになっている蒼々たるメンバーが当時所属していた会社に入ったんです。
私は全くこの世界の事がわからなくて、Serverって何ですか?という位のド素人がいきなりその世界に入っちゃった。これも実験ですよね。たぶん(笑)
いま考えると本当にラッキーな場所で、その業界の天才的な人達が集まっていた場所だったんです。
Q. そんな中でどのように、自分の居場所を見つけて行ったのですか?
全部、脱ぐごと自分の経験を全部脱ぐ。
プライドなんて持っていたらやっていけない。それを持っていると、逆にやられる。
Q. ある種のレベルをまた剥がすような。
教えて下さいって(頭下げて)感じですよね。
こういう業界は、学歴よりも経験。18歳のプログラマーにも教えて下さいって聴きに行くんです。
Q. そうなんですね。では裕子さんが、そこで一番発揮で来たことって、どんなことだったと思いますか?
やっぱりあきらめないことですね。同じですね。
それと、頭が千切れると思うくらい考えるってことを学びましたね。最後には、結果を出せてブランドの会社からお声掛けがあって移ったんです。
だから、またゼロからよ。
そこで初めてブランドを創るアメリカの会社に行ったんです。
Q. またゼロから。今度は、どんな心持ちで入られたのですか?
ブランドって、なんだろう?って。
日本を代表するクリエイター達とやって来たので、今度はそれとは違ったクリエイター達とどう作り上げて行くか。明確にブランドを作るとはどういうことかと勉強のために行ったと思う。
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