信岡裕子さん BANNISTAR SINGAPORE Pte. Ltd CEO & ブランド戦略担当 Ver 1

商品や企業のブランド戦略と、コミュニケーションを担当する会社を経営、そしてシンガポール政府 規格生産性革新庁 SBACC公認コンサルタントしてもご活躍する信岡裕子さん。シンガポールに移住されたのは、これから来る「アジアの時代」において、自分が出来ること、したいことを実現するために、まず現地を観なくてはと思ったからとお話する。裕子さんの考えるブランド作り、そしてブランドとしてみた日本、シンガポールとは?裕子さんのこれまでの経験をお伺いしました。(ビーワールドワイド代表 2018年1月より)
ラベルのない、自分がどうなるかの実験。自分の感性を含めて、どこまで通用するのかが興味があった。
Q. シンガポールにいらしたきっかけは、どんな事だったのですか?
ヨーロッパやアメリカの会社で働いて来て、これからの新しいアジア軸の価値観でどういうことが出来るのか、実験をしたかった。
Q. へ〜!実験のためにシンガポールに来た?
それは大いにあるね!
何にしても、実験的な要素がないと惹かれないんだと思う。
Q. へ〜!これまでにも実験、チャレンジしてきたことって、どんなことがありますか?
フランス語も話せないのに、フランスで勤務しようとしたこと。(笑)
Q. へ〜!それはどんな経緯で行かれたのですか?
ヘッドハンティングみたいな感じかな。
当時勤めていた会社の、お取引先のスイス企業の社長さんが、私が海外で仕事したいってことを聴いて「ポジションがあるので来ませんか?」って、お声をかけてくれたのです。
フランス語、話せないんだけどなって思ったんですけど、英語が通じるから大丈夫だよって言われて(行ってみたら)トンでもなかった(笑)仕事では、英語通じないって(笑)
Q. いま、実験って言葉をお使いになったのですが、フランスではどんな実験をする為に、行かれたのですか?
ラベルのない自分
その前までが、JTBヨーロッパ・中近東・アフリカ企画商品担当というラベルが付いていて、その下で散々面白いことをさせて貰って。
例えば、スペイン行きたいというと、ひとりリムジンを与えてもらって、さらに現地のスタッフが色々調査してくれて連れて行ってくれる。自分でも色々と調べていって、ここ行きたい、あそこで食べたいって。
Q. すっごい、良い仕事じゃないですか!(笑)
自分の感性でこれは面白い、これを商品に入れると良いとアイデアを持って。いま考えると贅沢な仕事ですね。(笑)
Q. 本当に(笑)
でも、当然それ以外は毎日朝の3時まで会社に残ってやる、そんな生活でした。
あの当時は、何を作っても売れたのでドンドン企画を作らされる。
Q. スピードを求められていたのですね。
修行みたいだったね。(笑)
自分で旅行用のパンフレットを作るとか、企画のタイトルを作るとか。いま考えると、現職に繋がっていて、マーケティング、クリエイティブの基礎編を学ばせて頂いたよね。経験の宝庫だったと思いますね。
Q. なるほどね。それで先程のラベルの無い自分ってことで、フランスへ。
まず、言葉が通じない実験でしょう。ラベルのない自分がどうなるかの実験。
自分の感性を含めて、どこまで通用するのかが興味があった。ヨーロッパで自分の感性がどこまで通用するのかは、実験だったね。
Q. その実験の3年半で得た事は、どんなことだと思いますか?
自分のままでいいんだなって。
受容されるって感覚は生まれて初めてでしたね。
人の色の好みってそうそう変わらないと思うのね。それがガラッと変わったんです。パリに居る間に相当影響を受けたんだと思う。色の好みが変わったというのは、土台が変わったって位のことだと思います。
Q. 分かる様な気がします。土台が変わったって経験は、私もロンドンで感じました。色の好みが変わったというのは、面白い視点ですね!
もうひとつお伝えしたいのは、“ラベルがない”って実験。こちらの方が大きかった。
JTBでの仕事では、現地に受け入れてくる人達がいて、私が好き勝手に素敵なことを描き、そのアイデアを出すだけで、それを実際に現地で受入れてくれて実行する。実際に現地で起きる様々な問題を、全て処理してくれていたのは現地の人達なんだよね。
私はそれをよく分からずに、あれがいい、これがいいと頭の中で楽しく描くだけで、実際に現場で、誰がどんな問題解決をしていてくれたのかわからなかった。でも自分でフランスで仕事をしてみて、良い言い方をすれば、ラベルがない事で地に足が付いた。
Q. なるほど。今度は自分が全部背負った。
そう、自分が問題解決担当になったってことね。
旅行で起きる問題って、人が起すものなんだよね。そこには美しいものはなくて、リアリティだけよね。こんなことしたくないってほどの仕事がセットで付いてくる、そんなパリでの仕事でした。
Q. なるほど。アイデンティティの自由を感じた反面、足を地に着けた様な。
足を釘で打ち付けられた様な感じよね。(笑)
細かい事に気をつけるとか、今のビジネスで大事にしていることは、あの時に気づかされたよね。手足を使って身体を使って、一個ずつ解決して行ったのはもの凄い経験だね。
Q. しかも外国ですものね?
フランス語もままならない28・9歳の小娘がピーチク、ギャーチク、何を言っているんだって(笑)
Q. そんな中で、どんな思いが裕子さんを支えていましたか?
必死で、上を見ていましたね。
私をこの仕事に誘ってくれた人が、時々話を聴いてくれて、その人と話すと自分が段々下を向き始めてるってハッ気がついて。あー、下を向いていては良くないって思った。
必死で、必死で鼻先まで泥水が浸っているんだけど、それでも上だけをみてようと思っていましたね。聴いてくれた人が居てくれたのはよかったですね。
Q. 振り返ればいい経験って、一言になってしまいますけど・・。
いやいや、私ね、シャンゼリゼ通りで、土下座したことあるの(笑)
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