
生まれはドイツ。当時の記憶はないのですが、両親に連れられてヨーロッパの美術館、建築物に触れる機会が沢山あって、数々の写真に添えた父の手書きのイラストがよい思い出です。いま考えると、美術に興味を持った原点なような気がしますとお話してくださったランバート美穂さん。ご自身も海外で育ち、いま自分がいろいろな国で子育てをして感じていること、美穂さんの思いをお伺い致しました。
病気をしたこともそうですし、引越が多かったので、そのことからでもそうですが全て同じというか。。。、自分に対しての質問を投げかけられているような、越えて行かなければならない壁だったのかなと思います。
Q. シンガポールに来て1年位の頃に、お会いしたのですよね?確かあれば、2012年位かな。いらっしゃる前にはどこに住んでいらしたのですか?
その前は、ブリスベンにいました。
英国人と結婚していますが、夫の希望でオーストラリアに住んだのです。そこも1年程しかいなかったのですが、そこから英国に帰ることになって、家財道具をパッキングして、引越屋の手配までして、それで急きょ、シンガポールへ転居することが決まったんです。
段ボール箱には、英国行きって書いている状態での急きょ変更になりました。
Q. へ〜。そんな急な展開での渡星だったのですね。
そうなんです。でも、シンガポールに行ったのは、私の中では大きな転機でした。人生観が大きく変わった場所ですね。
Q. 例えば、どんなことが転機となったのですか?
まず、代替医療を学んだところからですね。
Q. シンガポールスターでインタビューを受けて下さったアレクサンダー陽子さんの講座ですね?
最初は気軽な気持ちで、アロマを受けに行ったんです。
そこで教えて頂いたことが、いろいろと自分の中で(過去の体験と)繋がっていたということがわかりました。私も兄も、幼い頃から病気を持っていたので、母が健康をとても気にしていたのもあって、もともと興味があったんです。なるべく薬を飲まないような生活をしていたので、薬に疑問を持っていたんです。
Q. そうだったのですね。
実は、小学校5年生の頃に、慢性の腎臓病になって、それからですね。兄はもっと前に、アトピー皮膚炎もあったりして二人とも体が弱かったんです。
そんな背景もあって興味を持ったのは、自然な流れだったのかなと思います。それで人生観が変わったというか開けた感じでしたね。
Q. それまでは通院していらしたのですか?
もともと、一生薬を飲むように診断されていて。
中学生になり、症状が悪化し入院をするようになって、このままだと人格的に影響すると心配した親が、アメリカに移住することにしたんです。それが、アメリカでは普通の生活になったんです。
不思議なんですが、数値からみて問題ないと判断されて。運動は一切できず、砂糖も塩分も控える生活だったのに、アメリカの病院では健康に問題なしと診断されて、この変化はなんだろうと思いました。
Q. 日本では食生活をコントロールしていて、アメリカでは問題なしと?
そうなんです。全く気にしなくて良いと。理由はわからないのですが、アメリカでの診断は、健康上問題なしと言われましたね。ただ、日本に帰国後の検査で、後遺症が残っていると言われ、ずっと薬を飲むように言われたんです。
でも、それがすごく嫌で、病院の先生と言い争って。(笑)
本能的に服用をするのはできないと思って、それで病院に行くのも止めてしまったのですね。だからと言って何をしたわけじゃなくて、呼吸法や塩分、食事に気をつけるくらいでした。
それでシンガポールで代替医療の講座を受けて、体のことを具体的に理解出来る様に形にして貰ったという感じでしたね。まだまだ、とても難しいんですけどね。
健康についての心構えが徐々に自分なりに解釈出来るようになったと思います。
Q. それらの体験を通して、今どんなことを感じますか?
病気をしたこともそうですし引越が多かったので、そのことからでもそうですが、全て同じというか……。自分に対しての質問を投げかけられているような、越えて行かなければならない壁だったのかなと思います。
体験から、一杯気づきをもらいましたね。
たまたま今の状況があるから、言えることだと思いますけど。全てはあるべくして起こったのかなと思っています。
それまでは、子どもは産めないと思っていたし、13歳の頃はいつ死のだろうかとか、40歳位までしか、きっと生きられないんだろうなって思っていましたし。
ただ、そういう時期があったので、何時死んでもいいように、今しかできないことをやっていこうって、勢いはついたかなって思いますね。
Q. 10代で死を考える。それは辛いことでしたね。
子どもって言わないんですよね。
分かってないからだと思うのですが、思っていることは言わないものなんですよね。夜ベッドの中で、悶々としていたのを思い出しますね。面白いのは、そんな環境下で美術に没頭できたのは良かったですね。
運動などの部活もできなかったので、ある意味、それが良かったかなと思いますね。
Q. 美術は、どんな事をされていたのですか?
絵を書いていました。お友達と一緒に漫画家を目指したりしました。(笑)
いつも、絵を描いていましたね。
美術の先生が、とても面白い先生で、気が向かないと部活も来なかったりして(笑)とっても大好きでした。それもあって続けていましたね。
アメリカに行っても、英語が全く話せなかったので、私の糧というか、絵を描くことが逃げ場になっていたのかなと思いますね。(笑)
Q. 産まれたのがドイツで、途中日本で過ごし、また中校生から海外なのですね。子どもの頃は海外の方が長いのですか?
5歳から13歳までの8年は日本でしたね。
性格は、とても内気でしたね。人見知りが凄くって、だからアメリカへ行った当時は大変でしたね。
Q. 海外での10代、振り返るとどうでしたか?
波乱でしたね。
親が無理して(健康に気づかい)アメリカに行ってくれたのは、わかっているので感謝でしかないですね。今となっては良かったって思います。
縁があってイギリス人と一緒になって思うのは、この過去の経験がつながっているのかなと思います。
Q. 実際に子どもの頃に海外生活を経験してみて、ちょっと辛い時期も過ごし、もしいま同じ様に海外生活をしている子ども達に言葉をかけるとしたら、どんな言葉をかけてあげたいなと思いますか?
転校して辛い状況になったとき、環境を攻めると思うのですよ。なんでこんな思いしなきゃならないのって。
そういう時期って必ずあって、その中で何かできるかなんですよね。前に進んで行くことしかないですし、子どもって前向きに行くパワーって持っているんですね。
その時に、踏ん張らなきゃというか、ドシッとしていなきゃならないのは親の方なんですよね。いま、自分がその立場になって、母や父の気持ちも分かる様になって思いますね。
子ども達には、とにかく、やってみようですね!ひとつでもいいから、やってみようですね。大丈夫だよ。なんとでもなるよって。無責任かもしれませんけど(笑)
Q. 自分が辛い経験したから言える言葉ってあるよね。
私もありましたよ。トイレで毎日泣いていましたよ。
恥ずかしくてね。ひとりでランチを食べるのは。あちらはお友達同士、カフェテリアで食べるので、自分は一人ぽっちで、悔しい思いもしましたし。でもそれが絶対バネとなるんで、勇気を持って行って欲しいですね。
Q. そんな中で美穂さんが続けてきたのは絵を描くこと、美術だったのですね。
そうですね。その流れで美術系の大学に行って。
Q. それは、日本ですか?
日本です。
私なりに美術に没頭する蜜な時間を過ごさせてもらって、でも、日本のことを知らないと思って日本に帰りたいと思って、大学は日本で行きました。でも日本の大学の受験では、カルチャー・ショックを受けましたね。
to be continued
続きはこちらから
Ver 2:http://shitsumon-sg.com/star/star/5300/
Ver 3:http://shitsumon-sg.com/star/star/5305/