Rynaさん(森 まき)シンガーソングライター&ボイストレーナー Angel’s Voice Music School Ver 1

シンガポールで日本語でも受けられるボイストレーニングスクールの、シンガーソングライター&ボイストレーナーであるRyna(まき)さん。本心を伝えることが出来ず、苦しい経験があるからこそ、声を出して表現して行くことの大切さをお話下さいました。
自分の気持ちを出す事が、出来なかったんですね。自分を表現することを知らなかった。小学校1年生でストレスで、自律神経失調症になってしまったんです。
Q)シンガーとして始めるきっかけは、どんなことですか?
お母さんが、自分の出来なかったことを、私にさせたいという思いがあって凄い英才教育だったのですね。
3歳から水泳をジュニア・オリンピックを目指すような、選手コースでずっと習わされていたんです。
Q)まきさんのお母さんの夢だったのですね。
そう、子どもを強く、賢く育てたいって思いがあって。とても厳しかった。だから、自分の気持ちを出す事が、出来なかったんですね。自分を表現することを知らなかった。
小学校1年生でストレスで、自律神経失調症になってしまったんです。
水泳、習字、そろばん、塾、英語など一杯習い事をしていて、毎日終わると夜9時という生活でした。
本当は、ピアノとバレエに興味があって、友達が行っているからと、教室に見学まで行ったんですけど、それは駄目、水泳があるでしょって言われて。
よく疲労で倒れていました。気づいたら、病院のベッドの上ということがありました。
Q)小学1年生の頃から。
はい、小学1年生の時から、何度か(笑)
覚えているのが、夕方の光のさす病室で、気づいたら家族が傍にいて。これは恥ずかしいことだって、親に申訳ないなって思いで、そんな状況の中で育って自分の事を表現出来ない。
そして、小学校5年生の時に学校でイジメにもあって。靴の中に画鋲が入っていたり。先生も見てみない振りで、学校中からそんな状態でした。
家でも、学校でも自分を出せなくてもう、この生活が嫌だっ〜て。
5年生のある日、全てを置いて学校を飛び出して、町を彷徨ったんですね。それを知った学校が緊急連絡で、お母さん達が探している中、校門を飛び出して行った。自分の殻を破った感じがとても嬉しくって。
Q)我慢していたことが、バンと弾けてしまった?!
親に対しても、大人や社会に対しても、信用出来ないって思っていて、そこをなんとかしたいと思っていたけど、子どもだからそれをどうしていいかわからない。
学校から飛び出すことが、唯一の反抗だったんですね。
ここからなんとか抜け出したい。今でも覚えていますが、初めて太陽がすごく綺麗でキラキラしていて、空が青いなって思って。それが楽しいって思ったんです。
その時に自分の中で何かが変わったんですね。自分の本当にやりいたいことを、お母さんに伝えようって思ったんです。
習わなくてもいいので、玩具のピアノのキーボードを買って欲しいってお願いしたんです。
それを鏡の前に置いて、楽譜など買って貰えないので、音楽の教科書を置いて耳で音を探りながら弾く練習をして。とても楽しい時間だった。
やっと、自分で自分の殻を破れて、自分の世界を少しずつ築きあげていったのですが。中学生の時に、突然、家を引越すると言われて。自分がやっと築きあげたもの、数えられるほどの親友とか、また自分の世界を壊されるという思いで、それがきっかけで道を外してしまいました。
Q)反抗期、思春期ですものね。
外見も変わって、学校も行かず家にも帰らない状態になってしまったのです。その頃は、いつ死んでもいいと思っていました。
自分で何が好きなこともわからないし、友達もいないし、自分の事も大切にしてなくて、親ともそんな感じでしたので。もう自分も周りのことも考えず、どうでもいいやって感じになっていました。
でも、高校もなんとか3年終わる頃になって、気づいたんですね。
これからどうしようって。
それで初めてちゃんと音楽を勉強したいと思って、インターネットで調べて専門学校を見つけて、ビビッと来た学校を見つけたんです。初めて、自分のやりたいことをやっていきたい。正座して、絶対にやりたいんだと両親に話をして。
これまでの私の反抗的な態度で、半信半疑だったようですが、父が、「初めてまきが、自分でやりたいことを言ったんじゃない?」と信じてあげようかって、聞いてくれたんです。
19歳の時に、やっと自分の夢がスタートしました。
Q)自分を表現したいとい種が出て来たんですね。
毎日スタジオに入って、練習しました。
歌を歌うのは好きでしたけど、下手でしたし周りは凄い人が一杯いました。技もセオリーもなかったので、とにかく練習しました。本当に頑張らなきゃって、やっと夢を持つ楽しさを知りました。
Q)周りに上手な人がいる中で、自分がどうやってモチベーションを保っていたと思いますか?
それは母に感謝なんですけど、水泳って、個人プレーなんで勝ち負けの世界なんですね。
勝ち気だったのかな。
自分の中では、絶対負けないと根拠の無い自信がありましたね。有名なアーティストの歌をコピーをして、歌って自分は絶対負けないって思っていました。
Q)それの思いが奮い立たせていたのですね。それで頑張れたのですね?
絶対ビックになってやると思っていましたね。
Q)未来を望む19、20歳のころですものね。
でも、歌の世界は、難しい世界だってことも感じていて。
色々オーディションを受けたり、歌のデモテープを作って、手当たり次第に送ったりしていましたけど。やっぱりね……。どこか勝ち気なのって、根本が自分に自信がないってことなんですよね。
“私、大丈夫”って言っていて、心が変わってないから、スキルはついて行ったとしても、どうしてもいい人に巡り会えなかったり、騙されて終わってしまったとか。そんな中で、大人の怖さを知りましたし、音楽は甘い世界じゃないんだなってのも思いました。
オーディションでいい所まで行っても、2位で終るとかどうしてもトップになれない。人に騙されたり、嫌な出来事が起きたり、色々なことが沢山続きました。
Q)まきさんは、それは外側と内側のズレから来ていると?
そう、私自身から来ているのだと思います。内面が変わりきれてないというか……。やっぱり、自分の命が輝いていないから、行きたい道にいけないんだと思います。
人を惹き寄せられなかった。だから結果がついて来なかった。
Q)その時に、そう気づかれていたの?
これは、振り返ればですけどね。
当時は分かってなかったので、周りのせいばかりにしていました。どうして、私は上手く行かないんだろう、こんなに頑張っているのに、なんで?と人のせいにしていました。
本当は、物事の責任は、全部自分じゃないですか?だけど周りのせいにしていた。それも分かってなかった。こんな状況だったので、自分が不幸なのが当たり前と思っていたので、本当に色々なことがありました。
その頃は、事故などにもよくあっていました。そういう道だったんですね。
Q)ご自身がってことでしょうか?
自分の根底がちゃんと出来てないからだと思います。自分を表現する事や、人のことを思う気持ち、優しさや愛情を、わからないでいました。
勿論、親には愛を持って育てられているとは思うけど、自分は親から、愛されていると思っていなかったし、だから、人のことを想う事もできなくて、それが色々な形(良くないこと)で出て来たんだと思います。
その頃、交通事故にも立て続けにあったんです。
ある日、知人に車で送って頂いて、友人が助手席に座っていて、それで友人が先に降りたんですね。私は、その日はなんだかとても眠くて、助手席には移らずにそのまま後部座席に居て。気づいた時には凄く頭が痛くて。
パッと前を見たら、車から白い煙が出ていて、さっきまで友人が座っていた助手席に、大きな木があったんです。その時初めて、なんか生かされているんだなって感じました。
Q)それは大事故でしたね。
はい、それから3週間鞭打ちで寝たきりでしたけど。そういう良くない出来事に、まみれていましたね。(笑)
Q)いま考えると、全く上手くエネルギーが回ってなかったと思うのですね。
そう思います。そういう良くない事を、自分が引寄せていたんでしょうね。変えて行かなきゃいけないって思って。
to be continued
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