
芸術とは、僕にとっては人として生きて行く為の生き甲斐であり、力を与えてくれるもの。僕の場合は、新しいアート、知らないものに触れる時、知らないだけに、凄くインスパイアされるんですね。
Q)眞田さんの人生は、必ず助け人が現れる。
そうなんです。そのサザビーズのイギリス人も「なんのあても無くアメリカに行ったんだよ」って言うんですよ。
なるほどそうかって思ったんですけど、考えたら僕は英語が出来ない。今度は、美術商としてニューヨークに行く、だったらちゃんと英語を勉強しようと学生ビザで1980年に行ったんです。
2年間、英語と美術の勉強をして学生として過ごしました。
そして蓄えも尽きて、仕事をしなくてはと思って、1982年10月にニューヨークで自分の会社を設立しました。
Q)なぜこの時は、どこかに勤めるのではなく起業だったのですか?
誰かにお世話になるというか、昔の言い方でいうと奉公するのはやめようと思ったんです。苦労しても、自分に返ってくる方がいいなと。
これまでパリでの仕事で勉強させて貰ったけど、自分だったらこうしただろうなと思うこともあって、新しい場所で、新しい挑戦をしたかったんです。だから、ニューヨークでは、それまで自分がやっていたフランスの現代アートは取り扱わず、戦後のアメリカンアートを取り扱い始めたんです。とはいえ、そんなものをやっても、誰も買う人は日本にいないって、日本の画商たちから言われたんです。
ジャスパー・ジョーンズ(画家)など、欧米ではよく知られていても、日本では取り扱う画廊がなかったから、知られていないだけだったのに。それで、戦後のアメリカンアートを取り扱うことを始めたのです。
Q)シンガポールにいらした時の思いと似ていますね。新しいところで、新しい挑戦
そうですね。ニューヨークで始めた当初はそれまでにご縁があった方々に、今はニューヨークで仕事していますが、何かお手伝い出来ることはありませんかとお声掛けしたんです。
じゃ、今度のニューヨークでのオークションに欲しい作品があるから調べて欲しいとか依頼されたことをお手伝いする中で、少しずつこちらから、ルノアール、シャガールもいいですけど、これからはアンディ・ウォーホールや現代アートの時代ですよとお勧めしました。
そうこうしているうちに80年代終わりになって、日本はバブル。美術品を買い漁る時代がやって来たんです。ニューヨークにいて日本の美術市場の大変化を体感したんですね。
Q)これまでの人生を色々とお伺いしていて、本当に人から人のご縁の人生だったように思いました。自分で独立するまでの人生を振り返って、自分が一番得た事はどんなことだと思われますか?
まずは、何をやりたいかってことをブレないで持ち続けることが大切だなって思います。
引き上げて下さる方がいるから、そこに行くとしても、まずは自分の立ち位置、何をしたいかということを持っていることが大事でしょう。そこでチャンスを掴むってことですね。
もうひとつは、人とのつながりを大切にということ。
岡山から東京に出て来たときも、父の勤めていた会社の社長さんが奨学金を特別にくれて、その社長さんがご紹介してくれたお宅で家庭教師をしてました。その生徒さんのお父さんが画商で後に僕がニューヨークにいた時に、僕のお客様になって下さったんです。
Q)家庭教師をしていた頃は、画商になろうなんて思っていない頃ですよね?その時はわからないけど、出逢いは、全部繋がっていたんですね。
画商になろうとは、全く思ってなかったです。
その画商の方がニューヨークでの僕のお客様になってくれて、また、その方からご縁も広がっていく。そうやって、出逢う人は全部繋がってくる。(人生で出逢った)どの人ひとりが外れていても今の僕はいないんです。
萩本欽一さんがいなければ、パリには行けなかった。パリの画商さんがいなければ美術の世界とは縁がなかったし、パリにい続けるということはできなかった。その方に請われて、半ば嫌々日本に帰ってきたんですけどそれで日本の現状を見たことが、後に役に立っているんです。
その後、世界の現代アートが日本で流通する、バブルの時代がやってきて、アメリカから日本に欧米の絵画を販売しました。バブルが弾けた後は、今度は逆に、日本から絵を僕が買い戻して、アメリカやヨーロッパのお客様にお世話するという仕事もしました。
Q)なるほど、一度買って下さった絵を買い戻す。
値段は変わっても、絵の素性が分かっている一貫に任せれば安心だと、お客様が考えてくれたんでしょう。
こうして幸いにして僕は、欧米と日本の双方のお客様のお手伝いをするという仕事が出来たんですね。人と人とのご縁はそうやってずっと繋がっているのです。
Q)眞田さんの人柄に引付けられているんですね。
いや、自分ではわからないですけど。
僕は、非常にラッキーだったと思いますよ。いわゆる強運なんだと思う。僕は普段から、性格的にも、否定的なことはあまり考えない。嫌なことがあっても、寝たらすぐ忘れるタイプです。
Q)そうですよね。パリで何度も断れても働かせて下さいって。ココロ折れちゃう。(笑)
折れるも何も、そうしないと飢え死にしますから。
当時、僕のような状況で、せっかく入った大学を辞めて、パリにひとりで行くって人はほとんどいなかったですね。みな、「せめて大学を出てからにしたら」と説得してきました。
でも、当時の僕は二十歳前。2年も3年も待っていたら世の中どうなるかわからない。
今、行かないと手遅れになるって思い詰めていましたね。2、3年も経ったら、大勢の人がパリに行くようになる。待ってちゃいけないって。僕は、人がしないことをするのが好きなんです。
Q)開拓者ですね。
そういうことをいつも思っていましたね。東京にいて、フランス語の勉強だけしていても駄目だ。西洋の文化、芸術に強い憧れもあって、パリに行って空気を吸えば、自分が変わるんじゃないかって思っていた。
過去の芸術家達が、みなパリに向かっていったのは、パリには、世界中から来た芸術家を育てる土壌があったから。その当時とは時代は変わっているけど、自分もパリの環境に身を置けば、そこから何か自分にも生まれるん じゃないかって思っていた。
Q)眞田さんにとって、芸術とはどういうものだと思いますか?
僕にとっては、人として生きて行く為の生き甲斐であり、力を与えてくれるもの。
古いアートを見て心落ち着くこともあるけど、僕の場合は、新しいアート、知らないものに触れる時、知らないだけに、凄くインスパイアされるんですね。
そういう革新的な力を持ったものが好きですね。teamLabは、まさにそういうものだった。それによって、常に自分の精神状態が若返っているというか、常に前向きであり続ける。
芸術が無かったら、そういうことはないでしょうね。
どんな世界でも同じで、伝統芸術でもお茶でも同じなんです。何百年も続くものは、それを担っている人達は、最新にチャレンジしているわけですよ。ただ古いことを続けていくだけでは、朽ちてしまう。そういうもんだと思います。
Q)受け継がれるといのは、新しく生んで行くことなんですね。
常に芸術の中にある、そのチャレンジする精神というものが、人間を前に進めているエネルギーだと思います。新しい科学で新しい理解は進むのですが、科学だけでは多分、成り立たないんですよね。
ダビンチは、科学者であり芸術家でした。
アートとテクノロジーは500年以上も相互に影響を与え発展し続けている。科学で解決できないものは、芸術の中にヒントがある。その逆もあるんですけど。
Q)科学的なそれは、ひとつの見方ですものね。それだけではない。
人間を取巻く世界で、未知なるものを理解したいという、好奇心。
未知なるものを理解するには、科学的な理解と、芸術的理解が必要で、その好奇心が人を前に行かせる。それがまさにアートの持つ力じゃないでしょうか。僕にとってはそうですね。
だから、ニューヨーク時代にシャガールを売っていた時にも、超前衛アートを集めていたんですね。一番新しいものからインスパイアされたくて。
Q)素敵な物語。眞田さんがインスパイアされて、コツコツ集めていたその新しいものが、ここシンガポールで、また新しいインスパイアの扉を開いて行く。
そうなんですよね。何十年かけてやってきたことが、繋がっていくんですよね。
Q)H SEEDSという活動をしているのですが、人生にはそれぞれ蒔く種があると思っています。そこで眞田さんは、この人生でどんな種を蒔いていると思いますか?
うん〜、種を蒔いているという思いはないのですが。萩本さんが、彼なりに僕を育ててくれた様に、僕が若いアーティストの展覧会をやったり若いコレクターでどのように集めたらいいかわかならいという方達に、僕だったらこうしますよって、アドバイスしてきたことが種かな。
願わくは、それらが実になればいいなって思います。
Q)若い人達がそれを咲かせていく
ここシンガポールで、僕の展覧会で見た作品が、その人に、なんらかのインスピレーションを与えられたら、それが種かもしれないですね。
Q)これからは、どんなことをやっていこうと考えていますか?
これからも自分のペースで好きなことをどんどんやっていく。僕が目をかけているアーティストたちが世界へ羽ばたくお手伝いが出来ればいいなって思っています。
眞田一貫さんのご活動
ホームページ:http://www.ikkan-art.com
FBページ:https://www.facebook.com/ikkanart/timeline?ref=page_internal
IKKAN ART INTERNATIONAL
Add: 39 Keppel Rd, #01-05 Tanjon Pagar Distripark, 089065 Singapore
Tel: 6681 6490
☆☆☆インタビューを終えて☆☆☆
私がロンドンで出逢った人生の先輩たちも、70代半ばに船でいらした先駆者たちがいらした。人生の先輩たちの話は、とても面白いですね。
その破天荒(今まで誰も成し得なかったことを成し遂げること)な生き方は、とても刺激的で面白くて、よく学校をサボって、色々な方のお話をワクワクしながら聴いたのを思い出します。
眞田一貫さんのお話を伺いながらも思うのは、未知への挑戦することの大切さ。
”わかならい”ということに向ってみる。眞田一貫さんがおっしゃった芸術の挑戦のように、人生の最先端である、「今」も、破天荒でいること。人生、その考え方、在り方も常に新しく生まれ変わっていくことが大事なのだと思いました。その為にも、ちょっと違うかな、無理かなと思ってもまずはやってみること。
そして、時には断られても、失敗しても、また。
そうやって、自ら居心地良さから抜けてみて、好奇心を楽しむことかなと感じます。人生という芸術もまた、変化するそれにインスパイアされ繋がっていく。人生の先輩たちの経験談は、生きる知恵ですね。眞田一貫さんのアートギャラリーで、今後どのような展開があるのか、とても楽しみです。
最後に質問です。
「どんな新しいことにチャレンジしますか?」