
Q合格して、再びシンガポールに戻られたのですね。
卒業したとはいえ、経験なしにはすぐに中医師として雇って貰えるところがなくて、ラッフルズ病院の中に、チャイニーズクリニックがあって聞いてみたのですが、やはり難しく、また放射線技師として、ラッフルズ病院の「ラッフルズ病院ジャパニーズクリニック」に戻りました。
実は中医学3年生の時に、学びたいなと思っていた、当時、開院されている中医師の先生がいらして、お願いして時々見学させて貰っていたんですね。
再び戻ってからしばらくして、その先生の2階が丁度、空き部屋になっていたので、そこを貸してくれないかとお願いし、午前中にラッフルズ病院ジャパニーズクリニックでお世話になりながら、午後はそこの2階で開院し始めたのです。
それもまた不思議で、1年くらいやっていたのですが、色々と経営が難しくて、限界かなと思っていた頃に、ラッフルズ病院のチャイニーズクリニックで来ませんかとお声掛け頂いたんです。逆にチャイニーズクリニックからのオファーがあったのです。
Q)ご自身で開院されたので、目に留ったということですね。
1年だけですけど開院していて、とても勉強させられました。
やはり、開院は“経営”なのですね。私があんなにショックを受けた経営なんです。
自分が初めて全部やらなくてはならなくなって、初めてスタッフとして働くのと経営はまるで違うんだとわかりました。技術は勿論大事なんですけど、仕事を維持するというのは経営が大事なんですね。開院しての悩みは、値段を設定することお金を頂くことでした。
当時、色々な経営者達にも相談しました。みなさんがおっしゃるのは、コストがとかいうお話だったのですが、自分が満足する答えが、中々見つからなかったです。
結局、自分が出した答えは、どのようにしたら満足して貰えるかを考えること。それに見合う対価を頂くことだと思う様になりました。治療だけに、治せないこともありますから、やれることはやったという理解と満足を、そういう考えで、それなにりのお金を頂くのは良いことだと思います。
とはいえ、ラッフルズに戻った時、何が一番嬉しかったって、お金の事を考えなくって良くなったことですね(笑)
Q)先生としては経営者としてより、医師として接したいのですね。
純粋には、そうなんですよね。
でもやはり医師って立場でいても、勿論、経営を考えるのですが、ただ、直接お金のことをしなくていいのは楽になりました。この経験は、本当に良い経験となりました。
いま、この仕事をしていて、幸せだなと思うことは、全部を「観る」ということなのですね。
自然療法なので、体をサインをみて体質をみて、それで、ニュートラルに持ってくるという方法なんですが、どうもそれだけでは、足りないんですね。本当の健康となると、心の様相が関わってくる。
みるということは、診察の診るではなく、「観る」
「全部を観る」です。
そうすると、おのずと世間話をしながら入って、少し深い部分まで話すことがあって、それで根本となる原因を、後になって聴けたり、私の病院にいらっしゃる方は、あれこれ治療して直らないとか、病気を繰り返す方の来院も多く、なので色々な話をするんです。そして、話をしているうちに、私自身、気付かされることがとても多いですね。
患者様と医師という立場より、お友達という感じですね。なので、本当に色々とお話をするんです。(笑)
Q)例えば、腰が痛いと診察にいらして、話していて原因を観ることはできるのですか?
勿論、同じ座る仕事だといっても、どん状態でそれをしているかでか症状もかわりますし、やはり不安や心配があっての座り仕事でも違いますね。痛みだけではなく、どんな思いでそれをやっているかによって、疲れていたり、眠れないとか、色々な部分が出て来てしまう。
心の様相は、話していて見えてきますね。
人は体力があるうちは、体には出て来ないのですが、閾値を超えると出て来てしまう。生活全般を観て行くと、肩の力を抜いたらいいのかなと思う。
「笑う生活」がいいんです。病気が怪我も、日々笑って過ごせればそれを治療と一緒に出来れば、ベースアップ出来るのでないかなと思っています。
Q)お話しながら患者さんを“観る”スタイルで、改めて先生は、どんなことを感じていますでしょうか?
昔の医師というのは、医師たるものは……、でしたけど、いまは、人として対等なんだという考えがあった上で診察、治療する。まずは、同じなんだと。
健康って、やはり最後はその人の生き方に依存するから、それは「清く、正しく、強く」なんですよね。これがある人は、きっと広く世の中に影響出る人なんでしょうね。
みんな、清くなくって、みんな正しくなくって、みんな弱いんです。そして、みんな何かの拘りをもっているんです。
その拘りの多くは、何かに依存していること。だから、病気は、目に見える現象であってね。根本の部分で、自分のことを整理して、落としどころを見つけること。
ただ、ワーっとなっている時は、中々出来ない。
私の自然療法で、ちょっと楽になれば、考える余裕が生まれますから、自分の整理をして欲しいといつも言うのです。病気を多少していても、強い人、正しい人といのは、ちょっとやそっとあっても治るし強いんですね。実は、その強さは、苦労からくるものが多いと思うんですね。
幸せって、苦しみの中にあるんじゃないかと思うんですね。それを経て理解するのではないかと思っています。
そう考えると、病気も必要悪かなと思います。ただ、逃れたい、なんとかしてくれでは良くならない。繰り返してしまうのは、何かが合ってない。
Q)先生がおっしゃった「人間は汚くて、正しくなくて弱いもの」ですが、その中でもみな頑張っている。どのようにすれば良いと思いますか?
「観る」だと思います。
人を観るかな。
実はみな、観ていない。
みな、自分、自分で来ちゃっているから。隣や回りに誰がいるかを見えてない。
Q)日本人は他人の目を気にするという傾向がありますが……。
それも、実は自分の為の目なんですよね。ではなくて、回りを見渡すということですね。つい、忙しいから、追われいて考えないし、気付かないで終わってしまう。
「観る」
勿論、自分もそうなんですが、見えてないから気付かないし、同じことを繰り返えしてしまう。観て行けば気付く
何に?それは、本当は自分って、こうなのかなとかいうことです。
自分を知る。自分を知るには、人を観る以外ないですからね。だから色々な体験するのも、苦労するのも知ることなんですよね。
人はみな弱いんですね。だから、まずはその弱さを認めてしまうしか次の一歩が出ないと思うんです。
Q)先生はそんな時、ご自身でどうしていらっしゃるのですか?
落ち込みますよね。そうすると段々、運気も、気力が落ちますよね。(笑)
やはり正しいとか、清い人って、バイヤスがないから元気というか流れている。かげりがない。
なかなか、そういう領域にはいけませんけど、自分が見聞きしり、お会いした「清く、正しく、強く」人達のことなど、生きるヒントになればなと思って患者さんとお話しています。
to be continued
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