
渡邊先生とは、以前一緒に「食育セミナー」を開催しておりました。その打ち合わせの時は、食のお話から、毎回、生き方へと深まります。気と同じ、人生は”流れ”だからと教えてくれたのがとても印象的でした。今回は、渡邊先生のこれまでの人生、シンガポールで中医師になられた経緯をお伺いしました。
Q)改めてシンガポールにいらしたきっかけは、どのようことだったかお聞かせください。
日本で、放射線技師、それと趣味で武道をやっておりまして、道場がアメリカにあったので、毎年、教えに行っていたのですね。
行っているうちに、交流を持ったアメリカ人達のライフスタイルが気に入って、細々なことに気にしない、スケールが大きなと思いました。とにかく駄目ってことがなくって、なんでもやってみなよと言う、そういう彼らの考え方に、強く惹かれていたのですね。
そういう考えの元で暮らせたら、楽しいだとうなと思い、色々検索したところ、残念ながらアメリカでは難しいということがあって、シンガポールになったのです。
シンガポールから、将来アメリカに行くつもりで来たのです。
Q)アメリカへ行く為に足掛かりとして、シンガポールにいらしたのですね?
そうなんです。その時は、放射線技師としてここに来ました。
だけど働き始めて、あることに気付いてしまったのですね。それは、病院は、病院ではなかった。これは本当にショックでしたね。
Q)病院は、病院ではなかったということですか?(笑)
何かというと、会社だったんです。
恐らく多くの医療人が思われたと思います。
なぜなら、日本では、患者さんが一番だと教育されるからですね。日本の場合だと、医師は、兼経営者でもあるのですが、ここでは経営者と医師は、別なんですね。医師も一職員なんです。
なので、当然ビジネスで判断するので、そこにギャップがあって、色々と意見をしたのですが、通らない。それがとてもショックでしたね。なので、アメリカへの憧れも減ってしまいました。今思えば当たり前だと思うのですが、当時は、とてもショックでしたね。
Q)逆にいうと、日本では同じで成り立っているのですか?
自分が外に出て初めて、リアリティに気付いたのかもしれません。
そうこうしているうちに、2年が経つのですが、自分の意見を言いたかったら一職員ではなく、自分の病院の医師になろうと思ったのですね。
色々と調べているうちに、ここには中医学があると。だけど6年間、中国語で学校に行かなければならない。
かなり悩みましたね。そして悩んでいて思ったのは、考えずにやってみようでしたね。まずは、やってみよう。
Q)渡邊先生は、中国語が出来たのでしょうか?
いえ、まずは半年間、語学学校に通いました。
基礎を準備してから、大学に行きました。
Q)病院を辞めて、6年間行かれたのですか?
いえ、仕事をしながらでしたね。
実習をする頃には辞めましたけど、6年間の学費も相当なものですので、夜学に通いながら、とてもキツかったですね。
Q)一緒に学ぶ方達は、中国語が話せる人ばかりですよね?
はい、そうですね。
中華系の方ばかりでしたね。
なので、中国語をまともに出来ないのにどうやっているの?って、よく聞かれましたね。
Q)実際、どのようにされていたのですか?
ある工夫をしましたね。
日本人だから、漢字は大凡分かる。ペーパーテストは、内容さえ理解できれば選択なのでなんとか解ける。
困ったのはエッセイですね。それについては、書かないとならない。
そこで、ひとひねりしたのは、文章は書けないのですが、僕は理解しているということをアピールする。アピール出来れば、点数をくれるんじゃないかと考えたんです。
エッセイって、比較して何を説明しなさいという出題が多いんですね。例えば、風邪と感冒の違いとか、分かっている事を伝えればいいので、相違点と一致点、図やグラフにしたり、そこに熱、咳とか単語を並べたんです。理解はしているというアピールです。
努力している人は、少し人情もあって、おまけしてくれるんです(笑)最初は100名いましたけど、最後に卒業したのは30人満たなかったです。
Q)6年かけて卒業した時、どんなお気持ちでしたか?
こんなに勉強やるんのなら、もっと出来たんじゃないか思うくらい勉強しました。覚えた傍から忘れて行く様な、膨大な量で本当に大変でした。
国家試験を受けて後の帰り道、全てが、本当に全てが終わってハッと思ったんです。
たまたま自分は中医学を選んだけど、実はどんな分野でも良かったのではないかなと。どんな分野でもいいから、自分の限界まで挑戦したかったんじゃないかなと思ったのです。なので、なんの未練もなく、スッキリした気分でした。これで落ちたら仕方ない何も残さずという思いでした。
それから、結果が出るのがひと月後だったので、日本に帰国していて、合格したよと同級生から聞きました。なので、合否の嬉しさより、やり抜いたという満足感が大きかったです。
Q)そうですよね、6年間は長いですね。本当にやり終えた感ですね。
ただの6年間では無かったのでね。
続けるって大変だったし、それをするために色々な我慢や耐えることがあって、当然、経済的にも大変でしたので。
to be continued
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